箕輪城




JR高崎駅から箕郷(みさと)行のバスに乗って四ツ谷というバス停で下車、その後およそ15分くらい歩いて箕輪城に到着。時折、学校から子どもたちの声が聞こえる、長閑な場所に箕輪城はあります。殆どと言っていいほど、お城の近くには学校がありますが、これは学校を建てるのに広い敷地が必要であったことが関係しています。ただ、当時は生死をかけた戦があった場所で、今は未来を担う子どもたちが学んでいるという、こんな風景を武士(もののふ)たちが見たらどう思うでしょうか。平和な世の中に暮らしていることを、もっと我々は感謝しなければなりません。

さて、四ツ谷のバス停からすぐのところに箕郷公民館があり、その2階に100名城スタンプが設置してあるので、行く前に押してから城址へ向かうことにしました(いつも押し忘れるので)。スタンプを押さない場合は、もうひとつ先の箕郷本町で下車すると良いでしょう。

箕輪城址に到着。

今回のルートは、観音様口から郭馬出西虎口門を目指し、二の丸⇨本丸⇨搦手馬出⇨御前曲輪⇨三の丸、そして最後は大堀切を下り、追手門経由というコースでした。平山城に分類される箕輪城ですが、急勾配もなく、程よくハイキング気分で見て回れるお城です。

郭馬出西虎口門

箕輪城の一番の見どころといえば、郭馬出西虎口門です。2016年(平成28年)に当時の参考資料を元に復元された箕輪城最大の櫓門です。徳川家の家臣であった井伊直政(いいなおまさ)の時代につくられた櫓門といわれていますが、復元された翌年に放映されたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で柴咲コウ演じる井伊直虎(いいなおとら)が直政を養子に迎えて、後の箕輪城主に成長していくことで知られています。

郭馬出西虎口門。この馬出門を通って、二の丸、本丸、御前曲輪へと向かいます。

大堀切

個人的に一番興奮したのが、郭馬出西虎口門を見て左側にある縦に大きな堀切です。何故か堀切にそそられるんですよね。堀切を登って攻め込む足軽とそれを上から迎え撃つ守備隊の攻防が目に浮かびます。

(左)右手上の郭馬出門があります。(右)向こう側の広いところが二の丸です。

この大堀切は下まで続いています。今回は下りましたが、登ってみるのも山城を体感できて良いかもしれません。

 

二の丸を通り本丸へ。本丸から蔵屋敷への橋が建設中でした。もう完成しているかもしれません。

 

二の丸⇨本丸と続き御前曲輪へ。御前曲輪の井戸は1927年(昭和2年)の地盤沈下によって偶然に発見され、長野氏の墓石など多くの遺品が発掘されました。

 

御前曲輪から三の丸へ。なんとなく石垣を見たのは、この城でここが初めてのような気がします。石垣の上の方に本丸と二の丸があります。この後、郭馬出まで戻り、大堀切を下り追手門跡を目指しました。

 

追手門(大手口)に到着。

箕輪城の歴史的背景

長野氏が築城して以来、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏と絶えず侵攻が繰り返された箕輪城は、徳川家康が井伊直政に12万石を与えた後に現在の姿になりました。その後、関ヶ原の戦いの2年前の1598年に高崎城へ移封されたため、約80年戦い抜いた箕輪城はその役目を終えることになります。

箕輪城の基本データ
築城者 1477年、長野尚業(or業尚)(ながのなりひさ)により築城(築城年・築城者に諸説あり)。その後、徳川家臣で徳川四天王の井伊直政が城主であった時代に現在の城となる。
別名
天守 天守は実在しなかった
アクセス JR高崎駅より箕郷(みさと)行きバスで箕郷本町下車。100名城スタンプを押すなら、その手前の四ツ谷で下車。(箕郷公民館2F)
スタンプ設置場所 箕郷公民館2F

 

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