白河小峰城




白河小峰城はJR白河駅のすぐ隣にあり、降りると目の前に城山公園を見ることができます。今回は、会津若松城と二本松城の三本立てツアーでしたので、郡山駅からJR東北本線各駅停車の新白河行きに乗り、おおよそ40分弱で目的地の白河駅に到着。新幹線を利用する場合は、新白河駅で下車して郡山駅行きの各駅停車に乗り換えて白河駅で下車になります。

すごく味のある駅舎です。中にはカフェ屋さん(えきかふぇ)もあります。

白河という地名の由来にアイヌ語が関係している説もあるそうです。

白河小峰城のシンボルといえば、「御三重櫓」ですが、この櫓は江戸幕府になってから建てられたもので、この城の実質的な天守になります。地元のガイドのおじさん(ボランティアかな?)とお話することができ、いろいろと教えていただきましたが、お城といえば五重の天守が私達がよく知る天守ですが、江戸時代以降、誰もが学生時代に耳にしたことがある「武家諸法度(1615年)」により天守の増改築に制限がかかったため、現存する櫓が結果的に天守の代用となっていったそうです。ただ、厳密に守られていたかといえばそうでもないようですが。

御三重櫓と本丸御殿跡。残念ながら当時の櫓は1868年の戊辰戦争で焼失してしまいましたが、1991年に見事な姿に復元されました。近年、鉄筋コンクリートにより天守が復元されるのが主流の中、この御三重櫓は数少ない木造建築による復元天守のひとつです。

もうひとつ、ガイドさんからお聞きした話ですが、小峰城の「富士見櫓」からは実際に富士山が見えたそうです。直線距離でおおよそ240km、昔の人は視力も良かっただろうし、障害物も大気の透明度も違うので、天気の良い日は見えていたのかもしれませんね。

城山公園からみる石垣。結構高く威圧感があります。一部は未だに震災の跡を残しています。地震の影響により、残念ながら御三重櫓も1階の入場のみでした。

白河小峰城の歴史的背景

白河結城氏によって築城された後、豊臣秀吉の奥州仕置によって会津領になる。その後、領主が蒲生氏、上杉氏と代わり、丹羽氏のときに現在の姿となった。1868年に勃発した戊辰戦争・白河口の戦いによる新政府軍との激しい戦闘により、城の大半が焼失した。戊辰戦争後、新政府の廃城令により廃城となり、一時は野球場などにも利用されたことがあるが、史跡公園としての整備計画に伴い、1991年に、当時としては初の木造建築による復元天守が完成した。

白河小峰城の基本データ
築城者 結城親朝(ゆうきちかとも)
別名
天守 三重御櫓
アクセス JR白河駅より徒歩5分程度、駅からお城が見えます。
スタンプ設置場所 若松城につづき痛恨の押し忘れ。実際の場所を確認できませんでした。

白河だるま

白河のいえば「だるま」が有名です。白河だるまは今から約300年前、時の第3代白河城主・松平定信楽翁(らくおう)が、城下を繁栄させるため「だるま」の技術を習得させ、「だるま市」を開かせたのが始まりと言われています。※楽翁とは、松平定信の号(ごう、別の名称)のこと。

白河駅の構内にあるカフェ屋さん(えきかふぇ)の中にだるまの販売コーナーがあって、そこで黄色と黒の小さなだるまを2つ購入しました。黄色は金運、黒は仕事運だったっけ。ちょっと忘れました笑

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